2024.3.12
おはようございます。今日は朝から雨の鎌倉です。
三寒四温、日1日と春が近づいているのを感じますね。この時期は花粉症で大変な方もいらっしゃると思いますが、どうぞお体ご自愛下さいね。
昨日は3月11日、東日本大震災が発生してから13年が経ちましたね。鎌倉も14時46分の前に防災無線で黙とうを呼びかけるアナウンスがあり、私もその時間は作業の手を止めて黙とうしました。目をつぶって黙とうを始めた瞬間、体がぞわぞわっとして涙が出そうになり「日本全国の皆さまの祈りのエネルギーかな」と思いましたよ。
講師派遣FILEでは、防災士の方も多数掲載させていただいているのですが、そのお一人に国崎信江さんという方がいらっしゃいます。国崎信江さんは、1995年の阪神大震災がもたらした被害に衝撃を受け、自然災害から小さな子供を守るための研究を始められ、現在は危機管理教育研究所を立ち上げ、様々な組織の委員や地方自治体の防災アドバイザーを務めていらっしゃいます。
今から3年前、オンライン講演を国崎信江さんにお願いしたことがあり、本番前に東日本大震災について少しお話させていただいたことがあります。国崎さんは東日本大震災が発生する1か月前に大船渡で講演され「地震が来たらとにかくすぐ逃げてください」とお話されたところに、1か月後あの震災が起こったんだそうです。幸い、講演を聞かれた皆さまは逃げて助かったそうですが、私が「石巻の大川小の生徒さんがたくさんお亡くなりになったことが本当に辛いです」と話したところ、「ええ、本当に・・・私も一人の母親として、本当に、今でも胸が痛いんです」と沈痛な面持ちでお話されていたのが忘れられません。
私は小学生の頃に秋田で日本海中部地震を、学生時代は京都で阪神大震災を経験しました。どちらも、揺れた時の恐怖は今でもはっきりと憶えています。
また東日本大震災が発生した時は横浜の百貨店の8階で遅い昼食を取ろうと、注文したものを待っていたのですが、いろんなお店から食器が割れる音がする中、なかなか収まらない揺れに「ここで死ぬのかな」という思いがよぎったことを思い出しました。幸い命を失うことなく、ありがたいことに今も生きていますが・・・
そして、今年の元旦に能登地方を襲った大地震でもかけがえのない命が失われました。お亡くなりになられた方々のご冥福を祈りつつ、首都直下型地震や南海トラフ巨大地震の発生も想定される中、日本全国いつどこで被災してもおかしくないことを肝に銘じ、私たちは生活しなくてはならないのかもしれませんね。そんなことを思った3月11日でした。
13年前、大切な人を亡くされそれでも懸命に生きてこられたご遺族の皆さま、そしてこのたびの能登半島地震で被災された皆さまのお心が少しでも癒されますように・・・