萩原 智子(はぎわら ともこ)

萩原智子
PROFILE

萩原智子(はぎわらともこ)

元競泳選手

1980年4月13日 生まれ

山梨県甲府市 出身

山梨学院大学大学院修了

講演テーマ

「チーム力~個人の力を組織に生かすには~」 ※企業・管理職、経営者向け
個人競技である水泳ですが、実は日本代表は、日本でしかできない戦い方を取り組んできました。それは「個人競技ではあるが、組織で勝利すること」その秘策とは。「日本代表」というチームがシドニーオリンピックから取り組んできたことが、2012年ロンドン、2016年リオオリンピックのメダルラッシュに繋がります。
そして、東京オリンピックでの成績を日本水泳連盟は、どう捉え、今後にどう生かしていくのか。これまで日本代表がチームとして取り組んできたこととは?新しい課題が見えてきた、水泳連盟の取り組みとは?個人競技ではあるが、組織で戦うということは?本人の日本代表の経験、そして、引退後の現場での取材をもとにお話しします。

「目標達成の極意」 ※企業・新入社員向け
オリンピック選手になるためには、様々なライバルと戦わなければなりません。そして、ライバルに勝つためには、まずは「克己」、自分に勝たなければいけません。どのように自分に目標を持たせ、どのように自分に打ち克つのか、その極意をお話しします。

「私が向き合う私の人生/いつも笑顔で」 ※一般向け
幼いころはコンプレックスの塊だった萩原が、水泳を始めたきっかけや、様々な人との出会いから学んだことについて語ります。本人が大切にしている「克己心」という言葉に隠された秘話とは。数々の輝かしい成績を残しながらも、2004年に現役を引退。それから5年後の2009年に現役復帰を宣言し、復帰レースでは大会新記録で優勝。5年のブランクを経て、30歳で日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていた矢先の2011年4月、卵巣のう腫、子宮内膜症と診断されます。手術後は精力的にリハビリに励み、レース復帰。2012年4月には、ロンドン五輪代表選考会に出場…。水泳選手として、厳しさの中に見られる「優しさ」「笑顔」の大切さ。一人の女性として大きな試練をどう乗り越えたのか語ります。

 

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経歴・実績

1980年生まれ。山梨県出身。中学3年生時にカナダ選手権200m背泳ぎで、当時日本歴代2位となる日本中学新記録樹立。インターハイでは、200m背泳ぎで3連覇を達成。
2000年シドニー五輪、200m背泳ぎ4位、200m個人メドレー8位入賞。
2002年日本選手権では、100m、200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレーで史上初の4冠達成。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、2004年現役引退。
5年の歳月を経て、2009年現役復帰宣言。30歳にして日本代表に返り咲く。順調な仕上がりを見せていた矢先、五輪前年である2011年4月に、子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され、手術。手術後は精力的にリハビリに励み、レース復帰。
2013年日本水泳連盟理事に就任。2014年日本知的障害者水泳連盟理事就任。2015年東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員に就任。
2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会では、競泳界史上初、両大会での解説を行い、初の女性解説者となる。
テレビ・ラジオ出演のほか、ライターとしても活動の幅を広げる。一方で改めて、自身を育ててくれた「水」に感謝し、「水ケーション」と名付けた活動では、水泳を通じて水の大切さと感謝の思いを伝える活動にも取り組んでいる。
一般社団法人認定アクアソムリエの資格を取得。
萩原智子杯は、東日本大震災復興の為、そして障害者と健常者が一緒に参加できる大会として、全国で3大会開催。

メディア出演

テレビ

解説
東京オリンピック・パラリンピック 競泳
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テレビ東京 
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