2024.11.22
おはようございます。ここ数日、急に寒くなりましたね。今年の夏は猛暑で「早く涼しくならないかな」と思っていたのが、寒くなったら「暖かい日がいいなぁ」と思ってしまう・・・つくづく自分勝手ですね(苦笑)どうぞ暖かくして風邪を引かないよう、お体ご自愛下さいね。
今年も早いものであと1ヶ月と1週間となりました。2024年は皆さまにとってどんな1年でしたか?来年も皆さまにとっていい1年になりますように。そして2025年、我が国は戦後80年を迎えます。年々戦争体験者も少なくなる中、後世に戦争を伝える継承者の育成も重要になってきていますね。今日は世代を越えて語り継ぎたい真実の話を語る、鹿児島出身の落語家 桂竹丸さんをご紹介いたします。
1957年 鹿児島県生まれ。
1981年 桂米丸に入門。
1985年 二ツ目昇進。
1991年 国立演芸場花形演芸大賞銀賞受賞。NHK新人演芸大賞大賞受賞。
1993年 真打昇進。
●主な活動 1980年、日本テレビ『お笑いスター誕生!!1』に出場。5週勝ち抜きを果たして銀賞を獲得。翌年『お笑いスター誕生!!』の審査委員長であった 桂米丸に入門する。二ツ目昇進後は着々と頭角を現し、国立演芸花形演芸大賞で銀賞を、NHK新人演芸大賞では大賞を受賞。歴史ものの新作 落語を得意とし、「常に明るい高座をつとめる」をモットーに話芸に磨きをかけている。
テレビ・ラジオへの出演も数多く、1989年MBC『たけまる商店営業中』日本民間放送連盟賞を、ラジオ生ワイド番組部門 では優秀賞を受賞。1999年にはMBCラジオ『日曜ワイド竹丸・とも子のみなみなサ ンデー』で、日本民間放送連盟賞ラジオ放送番組部門・九州沖縄地区審査会生ワイド部門 優秀賞を受賞。
2019年 日本民間放送連盟 たけまる営業中 優秀賞受賞。
2020年 第75回文化庁芸術祭賞 大衆芸能部門 優秀賞受賞。
特技は日本舞踊・若柳流で、歌舞伎座に2度の出演経験がある。同郷の三遊亭圓歌、林家彦いち、春風亭柳之助、春風亭柳雀らとともに地元鹿児島での落語会を定期的に開催。また、「母と子の絆」「命の大切さや尊さ」に焦点を当てた講演落語会「ホタルの母」を各地で行い、幅広い層から感動のメッセージが寄せられている。
桂竹丸さんが語る「ホタルの母」とは
桂竹丸さんが2005年から演じている「ホタルの母」とは、戦時中に旧日本陸軍の特別攻撃隊の出撃基地が置かれた鹿児島・知覧を舞台に、軍の指定食堂を営み、「特攻の母」と慕われた鳥浜トメさんと若い特攻隊員との交流を描いた創作落語で、鳥浜さんの次女の赤羽礼子さんの著書「ホタル帰る」(草思社)がもとになっています。戦況の悪化とともに特攻の出撃基地となった知覧で、ある晩米軍の空襲で防空壕(ごう)に避難したトメさんと特攻隊員の前をホタルがよぎりました。翌日特攻に出撃する隊員は、「そうだ、おばさん。おれ、あしたホタルになって帰ってくるよ」と言い残し…といったあらすじで、語りを主体とした「地噺(ばなし)」と呼ばれる構成になっています。国のために自らの体を「兵器」とする運命に置かれた特攻隊員とトメさんとの鹿児島弁を用いたやりとりが切々と胸に迫ってくる、そんな内容になっています。
「芝浜」や「文七元結(ぶんしちもっとい)」をはじめ、落語には笑いを抑えて人の心の機微を描く「人情噺」と呼ばれるジャンルがあり、その中でも「特攻」を扱った落語はかなり異色で、冒頭のマクラと呼ばれる部分の他になかなか笑いを入れにくい作品なのですが、桂竹丸さんは「意義がある」と自らのルーツをもとに鹿児島弁を交えてお話くださいます。
桂竹丸さんからのメッセージ
「僕は海軍の特攻基地があった鹿児島の鹿屋の出身なんです。子どものころ、学校の先生がね、『特攻隊の兵隊さんは天皇陛下万歳と言って、国のために死んでいったのよ』と話したことがあって、それをおふくろに話したんです。だけど、おふくろは『それは20人に1人ぐらいで、ほとんどの人はお母さんの名前を言ったのよ』と言うんです。おふくろは米軍上陸に備えて、竹やりで訓練をしていた世代です。そんな戦争を知る母の言葉だけにカルチャーショックでしたね。」陸軍は知覧、海軍は鹿屋とそれぞれが特攻基地を置き、多くの若者が南海に向けて飛び立っていった鹿児島。この鹿児島で生まれ、落語家になった自分を振り返った時、一つの点となって結びついたものが「ホタルの母」です。「鹿屋に生まれ、おふくろから特攻について聞かされて、そして落語家になった。大げさだけど、これが自分のライフワークではないかという気がしたんですね。落語家が何百人もいるけども、これを語らしてもらえるのは自分ではないかと。落語家って一つの語り部でもありますから」
マスコミや幅広い年齢層から賞賛されています!
桂竹丸さんの胸を打つ講演落語は、マスコミやお話を聞かれた皆さまから多くの賞賛を得ています。その声の一部をご紹介いたします。
「わが子のように思っている若者が、国の大事に命を投げ打つのを、ただじっと見送らなければならないトメの気持ちが、照明を落とした客席に静かに伝わってくる。マクラ(本編の導入部)で物語の舞台になる知覧を説明するところでギャグを入れるほか笑いのない噺だが、竹丸は当時の人々が直面しなければならなかった時代の空気を丁寧になぞることで、最後まで観客を物語の世界に引き付けた」
《産経新聞》
『戦争の落語』と聞き、戦後の喜劇映画のようなものを想像しましたが、その違いに驚きました。しかし、その驚きも忘れるぐらい聞いているうちに幼い日に体験した戦争を思い出して聞き入ってしまいました。私が疎開したこと、父が傷を負って復員したこと、若い命が失われたことのすべてを思い出しました。帰ったら孫たちに聞かせてあげたいです」《72歳・女性》
「師匠と同時期に生まれた人間として戦争こと体験しておりませんが、戦争を直近の出来事として感じることができる世代だと思っています。今の子供たちは見たことないでしょうが、私は小さい時分に神戸駅にいた手足を無くした傷痍軍人の方の姿を覚えています。落語で泣いたのは久しぶりです。また、舞台となった知覧にも死ぬまでに一度は行きたいです」《56歳・男性》
「小学校で教師をしております。帰宅途中の車の中でNHKラジオの『真打競演』で『ホタルの母』を聞きました。家に到着したのですが、車から降りられず、最後まで聞かせていただきました。久しぶりの感動の涙でした。原作の『ホタルの母』や知覧の資料館のことなど調べて授業で使わせていただきます。良いお話をありがとうございました」《54歳・教師》
「トメさんの食堂に来ていた兵隊さんたちは自分と近い15~16歳でした。この年齢で『死』が身近にあることは今の私には信じられません。最後にトメさんが『戦争は終わったとね?日本が負けたとね?…だったら、なんであの子たちは死んだ?どうして死んだとね?』と言います。僕も同じことを思いました。大人の仲間入りをする14歳の立志式に竹丸さんの『ホタルの母』を聞き、戦争の愚かさ、命の大切さを知ることができて本当に良かったと思います」《14歳・学生》
戦後80年に改めて「平和」について考えてみませんか?
世界では今もまだ戦争をしている国や地域があり、日々多くの尊い命が失われています。「日本は平和だから」「私は戦争体験者の子孫ではないから」で、無関心でいることが最も悲しいことですね。
多くの国民が「自分らしく、自分の思うように生きられなかった」あの時代、戦争に散った多くの尊い命に思いを馳せ、戦後80年という節目に桂竹丸さんの講演落語で改めて「平和」について考えてみませんか?
「ホタルの母」は、これまで全国各地で開催されてきました。是非皆さまの地域でも平和について考える機会を設けてみませんか?お気軽にお問い合わせください。お問い合わせはこちら