攝津 正(せっつ ただし)

攝津正
PROFILE

攝津正(せっつただし)

元プロ野球選手/野球解説者

1982年6月1日 生まれ

秋田県秋田市 出身

秋田経法大付属高校卒業

プロ野球史上初!最優秀中継ぎ賞と沢村賞の両方受賞

講演テーマ

■スポーツ
「与えられた役割でベストを発揮するために必要なこと」 ※野球
中継ぎでシーズンの半分以上の試合で投げ続けた投手が、チーム事情により先発転向。全く違う役割を与えられてもすぐに実績をあげられた理由などについて語ります。

■教育・育児
「病気になって気づいた命の大切さ」 ※命
病気がきっかけでそれまでと変わったこと、人生観、同時期に生まれてきたこどもに対する向き合い方について語ります。

「沢村賞投手、今は育児に全力投球」 ※イクメン
誰もが憧れるプロ野球選手の中でも超一流になれるのは一握り。かつて投手の最高栄誉賞を受賞した元プロ野球選手が、普通のイクメンとしてどのような想いでどのように過ごしているのか、について語ります。

■人生
「ドラフト候補歴10年でも諦めなかった夢」 ※夢の実現
毎年のようにドラフト候補にあがりながら、何度も指名漏れを経験。プロ野球選手としては比較的遅い26歳でのプロ入りでも、日本で一番の投手になれた秘訣について語ります。

■ビジネス研修
「平常心で立ち続けたマウンド」 ※アンガーマネジメント
ヒットを打たれても、ホームランを打たれても、フォアボールを出しても、淡々と投げて結果を出し続けられたメンタリティについて語ります。

■モチベーション
「最優秀中継ぎ投手の先発転向チャレンジ」 ※チャレンジ
プロ入り2年で確固たる地位を築いたにも関わらず、3年目に先発へ転向。ポジション変更とも言える環境にチャレンジし、結果を出した秘訣について語ります。

「勝利の方程式を担い続けることの難しさ」 ※逆境
勝利の方程式の一角として一世を風靡した。「抑えて当たり前」の環境下で、2試合に1回のペースで投げ続けるという役割を果たすために重要なことについて語ります。

「チャンスは週1回。先発投手としてマウンドに上がり続けるためのメンタリティ」 ※セルフマネジメント
5年連続開幕投手としてホークスの黄金期の中心投手として活躍した。ローテーションを守り、勝ち続けるためにどのような準備、心構えで臨んでいたのか、について語ります。

■ビジネス
「元プロ野球選手から学ぶ、マネジメントの仕方、され方」 ※マネジメント、組織
プロ、アマを問わず各カテゴリで様々な監督、コーチと出会ってきた。その中で、自身をモチベートし、結果を出させてくれたのはどのような指導者だったのか、について語ります。

「偉大な先輩達の移籍で巡ってきた中心投手の役割。沢村賞獲得につながるリーダーとしての自覚」 
※リーダーシップ、チームワーク、コミュニケーション
日本一となったチーム先発投手陣が相次いで移籍。必然的に期待されたリーダーの役割を全うし沢村賞を獲得。どのような気持ち、行動で臨んだのか、について語ります。

「仕事につながる趣味への没頭。中継ぎ、先発で実力を発揮した集中力の秘訣は、趣味の釣りにあった?」 ※マインドフルネス
趣味(釣り)を追究し没頭することは、ひいては仕事(野球)への集中力につながり、結果を左右する。釣りへの集中と野球の結果の相関から見えるものは、について語ります。

■ライフスタイル
「釣りの魅力(野球につながる釣りの効能)」 ※趣味(釣り、バイク)
釣りをはじめたきっかけ、趣味として続けてきた理由、冠番組を持つほどの趣味となった釣りから得られた人生やビジネスにおける学びとは、について語ります。

■環境
「趣味の釣りが教えてくれたこと。海の環境を守り、次代に繋ぎたい」 ※海
「趣味をきっかけに感じた社会課題について、どのようなことを想い、どのような活動をしていこうと考えているか、について語ります。

■健康・医学
「元プロ野球選手が病気になって気づいたこと」 ※闘病体験

 

様々な講演ジャンルで登壇可能です。お気軽にお問い合わせください。

経歴・実績

<プロ入り前>
秋田経法大付属高校では1年夏からベンチ入りし、3年時の2000年にはセンバツに出場。高校卒業後は父親と同じくJR東日本に入社し、東北硬式野球部に所属。3年目から登板機会を増やし日本選手権東北二次予選では最優秀選手賞を受賞、2004年からエースとなる。
都市対抗野球初登板となった1回戦の日本通運戦では8回二死まで投げて2失点で東京ドーム初勝利。
2008年度プロ野球ドラフト会議でソフトバンクから5位指名され入団。背番号は50。
<プロ入り後>
オープン戦の好成績が評価され開幕一軍入り。5月8日の対埼玉西武ライオンズ戦で、中継ぎ投手として1回1/3を無失点に抑えプロ初勝利。
ゲーム終盤で攝津、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩の継投で逃げ切る勝ちパターンが確立し、勝利の方程式「SBM」と命名された。
<特徴>
フォームはオーソドックスなオーバースローだったが現在はテークバックの小さなコンパクトなフォーム。
平均球速約139km/h、最速148km/hのストレートと緩急2種類のシンカー、スライダー、カーブを投げ分ける。
先発として起用されるようになった2011年からの通算与四球率2.06の抜群の制球力を誇る。
コーナーをつく投球のためリリーフとして起用された2010年までは与四球率3.11と四球が多かったが、逆球率は5パーセント弱と低かった。
選手からも制球力の評価が高く、2011年の『すぽると!』で放送された、プロ野球選手100人が選んだ「この選手がすごい!コントロール部門」では3位に選ばれた。
ソフトバンク球団会長の王貞治をして「メジャーでも即通用する投手」として名を挙げられている。
<現役引退後>
2019年からは野球解説者として活動する。これまで福岡放送やTwellV(副音声)のゲスト解説者として出演。
その傍ら、RKBラジオの『攝津正のつりごはん』というレギュラー番組もスタートした。

<表彰>
・沢村賞:1回(2012年)
・新人王(2009年)
・2009ゴールデン・ルーキー賞 (2009年)
・日本プロスポーツ大賞最高新人賞(2009年)
・最優秀投手:1回 (2012年)
・ヤナセ・福岡ソフトバンクホークスMVP賞:1回 (2009年)

<人物>
愛称は「セッツ様」、「せっつん」など。ストイックで無口なイメージがあるが、実は話好きで明るい。
現役引退後にテレビ解説をおこなった際には、SNS上で「こんなに話せるとは意外」、「分かりやすい」と評判となっている。
自身の先発試合での始球式では、マウンドに立つのがアイドルであろうと芸人であろうと全く関心がないかのようにグローブを右脇に挟み、仁王立ちする姿が話題となり、ホークスから公式的に「攝津立ち」と名づけられた。
本人によれば、内心では「うわーっ!この人有名な人だ」と思っていたが、投球前だったので平静を装っていたという。

メディア出演