飯島健二郎(いいじまけんじろう)
元トライアスリート/トライアスロン日本代表監督
公益社団法人日本トライアスロン連合理事 オリンピック対策プロジェクトリーダー日本代表監督
トーシンパートナーズチームケンズ監督
1969年6月13日 生まれ
東京都 出身
日大二高校-日本大学卒業
「どう暮らすかより、どう生きるかを追い求めよう」
強豪野球部の顧問として甲子園出場、その後教員免許を投げ捨てプロアスリートとして闘ってきた飯島氏。また、現役時代だけではなく、現在も日本代表を率いて世界を転戦してきた経験や、引退直後は協会関連の仕事があったにも関わらず、「働く意味とは何か?」を追求し、自ら地下鉄工事の作業員として100日間働いていたエピソードもある。
「勝つこと、強くなること~プロトライアスリート草分けとして、そして指導者として~」
3つの種目を一人でこなす過酷なスポーツ「トライアスロン」は、練習をただ積むだけではなく、最後は自己との戦いに勝たなければならない。苦しさの中でも冷静な判断が必要となってくる。国際人としても通用する自立した選手を育てるためには何をすれば良いのか。自ら世界に飛び込み、世界で学び、プロトライアスリート第一号となった飯島氏が選手時代にどのように自信をつけて来られたのか、また指導者として何を考え実践しているのかお話しする。
「ナショナルチームの監督は中間管理職~時代と共に多様化するマネジメントスタイル~」
代表監督といえども連盟や選手、さらには選手の所属チームなど様々な人々の間に挟まれ、その苦労は絶えない。また女子トライアスロンチームの監督としても女子アスリートのマネジメントという非常に難しい課題に立ち向かってきた。まだ歴史の浅いトライアスロン界を選手・指導者として牽引してきた飯島の苦悩と、いかに克服し立ち回ってきたかを皆様にお話し致します。
「トライアスロン日本代表監督に学ぶ安全管理 ~トラブルを未然に防ぐ~ 」
スポーツにケガはつきものです。まして、水泳/自転車/ランニングを一人でこなすトライアスロンでは、一瞬の判断ミスや気の緩み、集中力の欠如が取り返しのつかない大事故に発展してしまいます。そのようなトラブルを未然に防ぐ為には、状況を正しく把握し、次に起こる自体を想定する力、すなわち「予測する力」が、とても大切であり、この「予測する力」は、一流のトライアスリートにとって必須の条件と言っても過言ではありません。飯島氏は、講演を通じて、一流のトライアスリートが実践する「予測する力」を身につける日々の思考法やトレーニングについて、一般の方でも分かり易く、実践し易いエピソードを交えて語ります。
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経歴・実績
日大二高、日大と野球部で活躍。大学を卒業後、教員となり母校野球部を甲子園ベスト16へ導き、その他水泳部顧問としてインターハイ出場に導いたが、選手との練習中に膝の半月板を損傷。そのリハビリで始めたトライアスロンに没頭し、勝負することを決意、教員を退職。
日本トライアスロン界のプロ第1号として活躍。引退後、世界での戦いを視野に指導者として活動を始めた。
トライアスロンがオリンピック正式競技となった2000年シドニーオリンピック以降、アテネ、北京、ロンドンの全大会で監督、コーチとして指揮をとり、北京オリンピックでは井出を5位入賞に導いた。
また、アジア競技大会では2010年広州大会では男女ともに金・銀メダルを独占(4人出場の4人の完全制覇)、2014年仁川大会でも男女ともに金・銀メダルを独占、さらにミックスリレーでも金メダルを獲得し、5人出場の5人全員がメダルを獲得し、完全制覇。
2010年ユースオリンピックでも佐藤が金メダルを獲得、2014年南京大会でも久保埜を5位入賞に導いた。