
馬原孝浩(まはらたかひろ)
元プロ野球選手
整骨院経営
火の国サラマンダーズGM
1981年 生まれ
熊本県 出身
ゆかりのある地域:熊本県、福岡県、大阪府
「怪我をしない身体づくり」
“再現性のある自己管理法” を、プロの視点で伝える。馬原氏は現役時代、肩の大怪我により苦しんだ経験から「ケガをしない身体づくり」の重要性に気づき、引退後は自ら医療の道へ。柔道整復師など複数の国家資格を取得し、再現性の高いセルフケア法やトレーニング理論を構築。
講演では、日々の体の使い方からケアの工夫まで、スポーツやビジネスに共通する「セルフマネジメント力」を伝えます。
「組織マネジメント」
黄金期ホークスの守護神から、GMとして組織を束ねる今へ。現役時代は「勝利の方程式・SBM」の一員としてチームに貢献し、引退後は監督・GMとして組織をまとめる立場に。個の力を最大限に引き出し、チーム全体を勝たせるために必要な「信頼構築」「役割分担」「育成視点」など、スポーツ現場での実体験をベースに、企業組織でも活かせるマネジメント術を語ります。
「モチベーションの高め方」
“やらされる”から“やりたくなる”へ変える仕組み。プロの世界で成功を収める一方、幾度も挫折とリハビリを経験してきた馬原氏。その中で、目標の立て方、周囲との関わり方、自分の気持ちの整え方を徹底的に工夫し結果に結びつけた。
講演では、モチベーションを一過性で終わらせない“仕組み化”について、実体験をもとにお届けします。
「セカンドキャリアの考え方」
“引退後”に選んだ新しい挑戦。その選択が人生を変えた。プロ野球選手を引退後、多くの選手が悩む「次のステージ」で馬原氏は医療の道へ挑戦。国家資格を取得し、整骨院を開業するという稀有なキャリアを創り出すと同時に、独立リーグの監督・GMとして新たな野球人としてのキャリアを築いている。
講演では「自分の可能性をどう広げるか」「新しいキャリアを見つけるための準備・選択・行動」についてお伝えし、現代におけるキャリア形成にもつながる視点で語ります。
<講演可能なジャンル>
・怪我をしない身体づくりとセルフケア(子供向け〜シニアまで)
・年代別トレーニング法、ケア法
・年代別指導法
・目標設定、モチベーションの高め方
・組織マネジメント&リーダー育成、チーム力向上
・プロ野球選手からのセカンドキャリア(高校、大学、専門学生)
・専門学生向け講演
・整骨院経営向けの講演
・整形外科医向けの講演 など
<馬原孝浩氏について>
福岡ソフトバンクホークスの守護神として活躍し、最優秀救援投手やWBC日本代表として世界一を経験した馬原孝浩。しかし、決して「天才型」ではなく、試行錯誤を重ねながら成長し、一流の選手へと上り詰めた。
大学からプロ入りを目指し、2003年ドラフト1位でホークスへ入団。剛速球とフォークを武器に守護神として182セーブを記録し、チームの黄金期を支えた。WBCには2大会連続で出場し、日本の世界一にも貢献。しかし、現役後半には肩の怪我に苦しみ、思うような投球ができない日々を経験。引退後は自身の経験を活かし、医療の道へ進むことを決意。柔道整復師、鍼灸師の資格を取得し、選手のケアや指導に取り組んでいる。
現在は、福岡県内で3店舗の整骨院を運営する経営者であり、地元熊本の独立リーグ球団『火の国サラマンダーズ』GM、プロ野球解説者、全国での講演活動など幅広く活躍中。中でも、プロ野球選手としての経験、引退後に取得した柔道整復師等の資格を活かし、『プロ野球でのタイトルホルダー × 柔道整復師等の資格取得』という唯一無二の経験・技能をもとに、「怪我をしない身体づくり」「組織マネジメント」「モチベーションの高め方」「セカンドキャリアの考え方」など、幅広いテーマで講演を行い、スポーツ界だけでなく、ビジネスや教育現場でも多くの学びを提供する。
オンライン講演も対応可能です。お気軽にお問い合わせください。
主な講演・研修実績
若松高校、ARライノス、日本経済大学、九州共立大学、マーサメディカル、九州医療スポーツ専門学校、麻生リハビリ専門学校 など多数
経歴・実績
1981年生まれ。熊本県熊本市出身。熊本市立高校(現:必由館高校)ではエースとして活躍し、卒業後は九州共立大学へ進学。大学時代は速球派右腕として注目され、2003年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)から自由獲得枠で指名を受け入団。ルーキーイヤーの2004年は開幕一軍入りし、先発投手としてシーズンを通して活躍。2005年から守護神に転向すると、強気な投球と150km/hを超えるストレートを武器に活躍。2006年にはチームの抑えとして確固たる地位を築き、37セーブを記録し最優秀救援投手のタイトルを獲得。以降もホークスの絶対的クローザーとして活躍した。
2009年には攝津正、ファルケンボーグとともに勝利の方程式「SBM」を形成し、リーグ優勝に貢献。2010年にはチームの日本一にも貢献した。2011年には右肩の故障で戦線離脱するも、復帰後もブルペンの要として存在感を示した。2012年シーズン終了後、オリックス・バファローズへトレード移籍。2013年はリリーフとして復活し、チームを支えたが、翌2014年は再び故障に苦しみ、シーズン終了後に現役引退を決断。
プロ通算11年間で登板499試合、182セーブ、48ホールド、防御率2.83を記録。ホークスの黄金期を支えた守護神としてファンに愛された。
引退後はプロ野球解説者として活躍する傍ら、野球教室や講演活動を通じて、次世代の選手たちへ自身の経験を伝える活動を展開。指導者としても精力的に活動し、野球の魅力を広めることに尽力している。
<プロ野球選手時代の戦績>
499試合登板、22勝23敗、182セーブ、48ホールド、防御率2.83
<タイトル・受賞歴>
2006年:最優秀救援投手(37セーブ)
2007年:パ・リーグ最多セーブ(38セーブ)
2009年:「SBM」としてセーブを量産、リーグ優勝に貢献
オールスター選出(2006年、2007年、2009年)
<日本代表歴>
2006年:第1回WBC日本代表(優勝メンバー)
2009年:第2回WBC日本代表(優勝メンバー)
<チーム実績>
リーグ優勝:3回(2004年、2010年、2011年)
日本一:2回(2011年、2014年)
<記録>
・2006年、2007年と2年連続30セーブ以上を記録
・「SBM」勝利の方程式の一角として2009年に活躍
・9年間で180セーブ以上を記録した実力派クローザー